本日、4名の昭和20年卒業生の皆様にご来校いただき、
当時の様子をお聞かせいただきました。
昭和19年7月より、学徒動員で小倉・門司の工場で勤務。
門司は太平洋戦争末期になると、
大陸への海上輸送の基地であり、早くから空襲の標的となり、
敗戦までの1年間にわたり数度の空襲をうけていました。
体育祭も文化祭も遠足もなし。
しかし、鎮西高等女学校の1日1日がとても楽しかったとのお話でした。
当時のセーラー服は憧れの的だったそうです。
そして、昭和20年の3月。
卒業式ということで久しぶりに学校へ登校し、卒業の日を迎えられたとのことでした。
しかし、卒業式は空襲警報により中断。
卒業証書は次の日に工場でいただかれたそうです。
その後、工場ごと日田に疎開。
お寺や旅館に分かれて、共同生活を送り、
終戦を迎えられたとのことでした。
また、
この年だけ、卒業アルバムが作成されなかたそうで
有志の方々が7年間かけて写真を集め、
昭和57年8月にアルバムの形でまとめられたそうです。
当時の日記や卒業証書をはじめ、貴重な資料などもご持参いただき、
当時の様子をお話いただきました。
以前、皆さんのお話の中で
「卒業式やりたいね」とのお話もあったそうですが、
そのままそのお話は実現しないままだったそうです。
この度、学校側からの提案を
お聞きになられて、皆さんとてもお喜びになられたそうです。
そして、このお話をお聞きになられた
当時の先生方もご出席いただくお返事を頂戴しています。
当時の先生方からお一人お一人のお名前を読み上げて
いただき、証書をお渡ししたいと考えています。
2月14日の昭和20年 鎮西高等女学校 卒業式。
在校生の皆さんと一緒に心からお祝いし、
思い出に残る1日をプレゼントできたらと思います。
最後になりましたが、
このインタビューの様子は来週はじめの西日本新聞にも掲載される予定です。
どうぞお楽しみに!!